2013年7月16日火曜日

時の作用

日本昔話を見て育ったからか、折に触れ、何の報いか、ということを考える。

梅雨明けのころ、十日近くも熱が下がらず、その間ひどい頭痛に悩まされた。
ほぼ10秒おきにきりきりと締め付けられるような痛みがやってくる。お釈迦様が孫悟空の額に巻いた輪を締めて、懲らしめる場面が浮かぶ。孫悟空並みの悪さをしたかなあ、もしかしておさるさんみたいな髪形にしたからか。絶え間なくおそう痛みの中でそんなことを考え続けた。

多くの昔話では、善きことを為せば幸せが訪れ、悪いことをすれば報いを受ける。
因果応報、というけれど。
つらい時かなしい時、こんな目にあうのは何かの理由があるのかと省みるのである。
まあ、いろいろ思い当たるので、あれかこれか、と考える。考えてどうなる訳でもないのだが、報いを受けて然るべし、と自分でも思えれば、少し救われる。



冒頭の日本昔話とは、私が幼い頃にテレビ放映されていたアニメーション番組。だから昔話だけれど「聞いた」でなく「見た」。他には一休さんとか、見ていたなあ。ニルスの不思議な旅を見逃して、泣いたりしてたっけ。
それから祖母の家にあったいじわるばあさんも人格形成に少なからず影響したのではないかと疑っている。

しかし今読み返し、見返したら、違うのではないかという気がする。
先日ラジオで、市原悦子さんが語る昔話を耳にして衝撃を受けた。あっけないほど残酷で、かなしい兄弟の物語。子供の頃にも聞いた話なのだろうか。胸に重たいものを載せられたようで、聴いてしばらくの間言葉が出てこなかった。


時の作用というのは思いもかけず大きなもので、同じものが時を経て出会うと全く異なる顔つきをしていたりする。一休さんは、まあ変わらないかも知れないけれど。




      大きな悲しみは時とともに消えていくが 
      小さな歓びは時とともによみがえる 
      魂よ
      君には不思議な才能がある 
                       (田村隆一の詩より)





家族や救急外来なるもののお世話になって、頭痛は治まった。

初夏から梅雨にかけて、あんなに気になる朱色をしていた石榴の花がいつの間にか青い実の形になった。
泰山木の花もやがて終わり、梔子の替わりに山百合が香り始める。
どんどん、時は流れていく。ふと何か以前のことを思い出さなくてはいけないような気持ちになる。

銀座校講師 五十棲さやか

『ソニー』

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