2013年11月20日水曜日

年齢

 人間は誰でも年をとる。
 考えてみれば生まれたての赤ちゃんだって刻一刻と年をとっている訳だけれど、ある年齢まではそれは「成長」と呼ばれ、あまり意識されない。少なくとも、問題視されることはない。
でも、年をとる、ってどういうことなんだろう。自身の経年変化を意識するからか、最近よくそんなことを考える。





 年をとって何が変わったか。
 いろいろあるのだろうが私には例えば歩き方だ。
 歩く時の身体の動かし方が明らかに変わった。見た目はわからないので自覚としての話である。骨格も筋肉の太さも体重も、日々変化しているらしい。あの頃の歩き方と違う自覚があるのに、その「あの頃」の再現が、もう出来ない。


 一方で、変わらない部分もある。
 ふとした瞬間、特に自身の限界を試すような時に、ああ何て変わっていないんだ、と思うことがある。我知らず逃げ腰の返事をしてしまった時、抑えられずストレートに感情を出してしまった時。あるいは絵を描き上げる刹那などにも。
 幼さ、というだけではない、自身の本質、のようなもの。



 それらと向き合うのは、こわいことでもある。
変わり得ない自分自身を見ることは、自分の未来を見ることでもあるのではないか。自分の中に占める過去の分量がだんだん増えていく。過去から未来を類推するようになる。未来予測の精度が上がるのは、こわい。






 しかし、自らの変化や、また頑として変わってくれない部分と、つまり自分との折り合いをつけるのがうまくなることこそが、年をとるということなのかも知れない。
 少し前まで、去年あたりまでは、「後悔は絶対にしたくない」と思っていた。というか、後悔はしてはいけないものだと思っていた。今は少し違う。後悔することで、見えるものもあるのかななどと思う。後悔もまた人生の味わい、とまではまだ、わりきれないけれど。


 40歳は人生の正午、と聞いたのは何処でだったか。
 しかしまだ浅い話なんだろうな。先に生まれた方からは、笑われたり叱られたりしそうだ。 今年のカレンダーもあと一枚になった。



銀座校講師 五十棲さやか

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